江戸末期から明治初期の建築と推測される。正面左端の間口2間分は棟落ちの平屋となっているが、この部分は大正12年(1923)に増築されている。2階は黒漆喰と白漆喰で塗り込められ、開口部は虫籠(ムシコ)窓となっている
1階の表側の格子の取付く柱間の柱側面には溝が残り、摺り上げ戸が使用されていた跡がある。多くの柱に欅が使用されるなど凝った建築普請がされている。
江戸末期から明治初期の建築と推測される。正面左端の間口2間分は棟落ちの平屋となっているが、この部分は大正12年(1923)に増築されている。2階は黒漆喰と白漆喰で塗り込められ、開口部は虫籠(ムシコ)窓となっている
1階の表側の格子の取付く柱間の柱側面には溝が残り、摺り上げ戸が使用されていた跡がある。多くの柱に欅が使用されるなど凝った建築普請がされている。