旧柏原銀行跡は、柏原区内を東西にはしる旧中山道柏原宿の西寄りに位置する。中山道に面する間口は14間と広く、西に主屋、東に旧銀行跡である楼屋、それぞれの棟を連結する門をつくる特徴的な外観から中山道上の重要な景観のポイントになっている。
建築主は、柏原宿の村役人を務めたことのある家柄、山根家(屋号為蔵)にあり、後の柏原銀行設立の発起人の1人となる山根左太郎氏である。主屋及び旧銀行跡の建築時は定かでないが、旧銀行跡は柏原宿絵図(弘化年間)に記載される。
間取りと近似することから旧銀行跡は、江戸時代末期以前のものと推測することもできる。一方、主屋については、近くにある住宅(明治20年ごろの建築)と類似した意匠、構造であることから、明治中期の建築とおもわれる。
銀行への用途変更以前は、東の棟(銀行へと改修される部分)と主屋は別棟であった。東の棟を銀行へ改修するにあたり、主屋との間の空地に現在の門をつくり、銀行と主屋を連結し、現在の形となっている。当時の柏原は、中山道の宿駅で交通の要衝であったことから、周辺の産業を支援するため、金融機関の必要性が痛感され銀行が設立されている。
建物については、間口14間、奥行30間の広大な敷地の中、中山道に面する北側へ配置されている。
主屋は木造2階建て、瓦葺、建築面積は252㎡で屋根形状は切妻造りで平入り、大屋根には越屋根をつけ、中山道側には庇をつけている。外壁は1階庇部分に出格子、連子格子、まくかけを付け、2階外壁には、むしこ窓、東西の端に袖うだつをつけている。2階のむしこ窓よりつながれる軒裏のせがい天井、垂木はしっくいにて塗り込まて1階部分の格子部分の古色にて対比して街道より見る美しい景観をつくっている。1階の連子格子は無双形式となり、街道への視線と通風を制御するものとなっていて貴重である。
主屋の内部についてはデイサービス施設に改修している。
玄関よりつづく通り庭の部分に、デイサービスにおける水まわり部分(便所、脱衣室、浴室等)を設け、2列3室の座敷部分に機能訓練室、食堂、リビングを設けている。
各室の間仕切りは、既存の間仕切り位置と同じとし、間仕切りにある差鴨居、ランマ又、構造材としての梁、大引はあらわしとして、旧住居の雰囲気を留めるよう内部の意匠を構成している。
一方、敷地の東に位置する旧銀行跡棟については、前述した柏原宿絵図(弘化年間)に記載される平面図と間取りが近似することから、今後の更なる調査が期待される。改修後の間取りについては、玄関より土間スペースを広げた以外は既存の間仕切りを生かし、以前よりあった床については床柱、地袋、天袋をそのままに改修している。
入口土間の一部に展示コーナーを設け、改修前の主屋の縁にあって地元日本画家三家玉雅による古松の描かれた框戸を展示している。
改修前は、腐朽が激しく、近隣の住居より取り壊しの要請が出されたこともあるが、ディサービスへの用途変更により格調高く改修され柏原宿西エリアのランドマーク的な存在となっている。
地域の住民が永く見続けてきた建築が蘇えり、そこに存在し続けることで住民には大きな安心となり、建築を通して地域のアイデンティティを生み出すものとなっている。歴史的建造物のもつ力、又まちへの活力、愛着を育むものとして大きな存在感を放っている。